【独立記念日】が二日間続く珍しい国!パラグアイの歴史を調べてみた

パラグアイ

2025年5月14日、15日に独立214周年を迎えたパラグアイ。

全国各地でセレモニーやイベントが開催されています。

「独立記念日」が公式に二日間続くという国は珍しいようです。

パラグアイの独立はどのようにして実現したのでしょうか。

パラグアイが独立するまでの歴史

1524年にアレホ・ガルシア率いる探検家たちが、金や財宝を求めてこの地にたどり着きました。

ラ・プラタ川の流域は「ヌエバ・アンダルシア」と呼ばれるようになり、こうしてスペインによる支配が始まります。

1537年8月15日には「アスンシオン」が創設され、この都市を拠点として、スペインによる植民地の拡大や都市建設が行われていきました。

そのためアスンシオンは、南米大陸のなかでも特に古い都市のひとつとされています。

1776年には、首都をブエノス・アイレスとする「リオ・デ・ラ・プラタ副王領」という行政区が置かれました。しかし、パラグアイは依然としてスペインの支配下にありました。

その後、ナポレオン戦争によってヨーロッパでは混乱が生じ、スペイン本国の力が衰えていきます。このことがきっかけとなり、スペインからの独立を目指す運動が盛んになっていきました。

1810年には五月革命が起き、ブエノス・アイレスがスペインから独立しました。

その1年後、パラグアイでも革命が起きます。

1811年5月14日の深夜、若い将校たちがアスンシオン市内にある兵舎と広場を占拠し、スペイン総督ベルナルド・デ・ベラスコに政権を明け渡すよう要求しました。

そして5月15日の早朝、21発の祝砲とともに、パラグアイはスペインからの独立を宣言したのです。

独立記念博物館

アスンシオンには「独立の家」と呼ばれる記念館があります。

1772年に建てられた家で、スペインからの独立を目指す革命家たちが集まり、秘密裏に作戦を立てていた場所だそうです。

1965年5月14日に「独立記念博物館」として開館しました。

個人の邸宅だったので、規模はそこまで大きくありませんが、植民地時代に使われていた家具や工芸品、革命家たちの肖像画、歴史文書などが展示されています。

まとめ

パラグアイの独立は、1811年5月14日の深夜から15日の早朝にかけて成し遂げられました。

そのため、二日間にわたる「独立記念日」が公式に制定されています。

パラグアイの歴史を知る良い機会となりました。

独立記念博物館にも行ってみたいです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました